漫画やアニメ、SNSが時間以上にあなたから奪っているもの

漫画やアニメ、SNSが時間以上にあなたから奪っているもの

漫画、おもしろいよな。最近だとSNSの投稿でも流れてくるよな。見ちゃうよな。TikTokとかで違法にアップされてるやつとかやばいよな。時間がんがん溶かされるよな。アニメもおもしろいよな。ネットフリックスとかで見始めちゃうと、一日中釘付けだよな。X(旧Twitter)も、いつのまにかフォローしてないアカウントのバズってる投稿とか表示されるようになってるし、あんなん絶対見ちゃうよな。

こんなふうにメディアに時間を吸い取られるように感じるのって、ここ数年のことじゃないかな。最初のうちは楽しすぎて時間があっという間に過ぎてくーって感じだったけど、さすがに少し学習して手を出したら自分の時間がぜんぶ持ってかれてなんもできんって危機意識に変わってきた。今日はちょっと、このへんの漫画、アニメ、SNSといった現代の「時間どろぼう」が俺たちから奪っているものについて考えたいと思う。

アニメや漫画は受動的な娯楽? 活字の本と違って頭を使わない?

そもそもさ、漫画やアニメって生活に必要なもんかな。受動的に摂取する、消極的な娯楽っていうかさ。もちろん、知識とか物語とか感情の表現とか、得るもんはあるだろうぜ。でもさ、自分から行ってない。スポーツとかみたいに、自分から行ってる感じがない。ここがこわいと思ってる。

消費者は、供給する側の都合、手のひらの上で転がされてる感じがするよな。じゃあ、なんのために俺たちは転がされているんだろう。

いま漫画はいろんなところで読める。紙の場合は本が売れて儲かるってのが目的、電子の場合も近い、SNS上にアップされてるやつは違法なんだろうけど、プラットフォーム側の都合としては人気のあるコンテンツなので、上位に表示するアルゴリズムに乗っかってくる。プラットフォームの利用者が増えれば盛況になり、SNS上の広告の価値も上がり金儲けにつながる。

どんなに素晴らしい内容の作品でも、企業を介して供給されるものは特に、金儲けが目的になっている。漫画家さんは出版社と契約することで、好きなことを仕事にできていて幸せなのかもしれない。それは喜ばしいことだし、そういう人を応援するために、俺たちが金や時間を注ぐのは悪いことじゃないだろう。でも、それで俺たちの生活は豊かになっているのか? 時間をつぶして「楽しませてもらいましたから」って誰かの夢のためにお金を払って、そんで俺たちの番はいつ来るのか?

漫画やアニメも、もちろん中身がないわけじゃなくて、学べることもいっぱいあるし、背中を押して動機を与えてくれるような作品もいっぱいある。そういうメッセージが作品にないと出版しない、みたいな出版社もあるんじゃないかな。でもそのへんの摂取もほどほどにしとこうぜ。読んで満足、おなかいっぱい、疲れた、動けない、みたいになったら元も子もない。

アニメや漫画は、時として、心を豊かにしてくれるものであり、行動力を起こさせるものでもあるだろう。ただ供給過多はやばい漫画やアニメはいくらでも摂取できてしまう中毒性がある。そんくらい作りこまれている。しかも、昔読んだことがある作品が「今なら全巻無料」みたいな感じで宣伝されてて「おぉ読みたい」ってなっちゃうこともあり、そんなん読み始めてしまったらもう、一回体験済みのもんを繰り返してるわけで、俺は一体なにやってたんだろ、って読後にはむなしい気持ちにしかならない。そうなると行動力もくそもない。

SNSで漫画の宣伝の投稿がばんばん表示されたり、なんでもかんでもアニメ化・映画化して、それでも消費者は自分の時間を削ってでも消化してしまう。そういうところには、金儲けのにおいがぷんぷん漂っている。供給する側は節度を持てっていうか、もう少しブレーキかけようぜ。

ちなみに、漫画読んだりアニメ見たりしてるとそれなりに疲れるけど、活字の本を読んでるときの疲れはなんか種類が違うんだよね。漫画とかアニメは、ビジュアルや音声など、マルチメディアでイメージをぶつけてくる。文字だけの活字本とちがって、想像の余地があんまりないんだよね。すると、受け手は考えなくなる。想像しようとしなくなる。イメージが決められていることで、能動的な楽しみ方がしにくい。漫画やアニメで提供されるイメージの完成度は非常に高いので、そのまますんなり受け入れられる。消費者は受け入れるだけ。思考停止につながる。

いずれにしろ、現実を生きていないっていうか、誰かが作った世界や考えのなかを生きている感じがして、没頭しすぎると自分が現実世界(第一次的世界)から離れて仮想世界(第二次的世界?)に行っちゃってるような感じになる。しかし、漫画やアニメの場合は、考えたり想像したりしながら読む領域の多い活字本とちがって、ただその世界に放り込まれて強制的に“見せられ”て、時間とエネルギーを吸い取られているような感覚を覚えるんだよね。

「見てるだけ」をやめて好きな気持ちを昇華させるアクションを

どうせ漫画やアニメーションを見てしまうなら、もっと好きになってハマりまくって、その体験を昇華して自分のものにすればいい。「見せられる」側じゃなくて「見に行く」側に、スタンスを能動的な方向に切り替えよう。たとえば、能動的に作品に向き合うことで、作品の構成、ディテールを見抜くことに楽しみを覚える人もいるだろう。その分析や考察を、自分のアウトプットにつなげられるのなら、それはいいことだろう。あるいは、コンテンツをつくる側の人間になってしまう、とか。ただし、そこまでの次元にまで消費のスタンスをアップデートできるだろうか。

漫画やアニメーションなどの「受動性の高いコンテンツ」は、楽しみが深いところまでデザインされている。伊達じゃないのだ。その楽しみに溺れるか、モチベーションを得て何かに昇華させるのか。コンテンツを消費している自分をメタ的に捉えて、その体験を自身にとって有益なものに転換しようとするモードに切り替えられなければ、メディアの奴隷になってしまうだけだ。そんくらい、洪水のように今、漫画とアニメーションの波は俺たちを飲み込んでいる。それでいうと、オーディション番組とか韓国ドラマとかも同じ感じかな。共通するのは、いずれも高品質だという点。だからおもしろい、魅了させられる。でも、高品質だから自分のこと全部放り出して一日中、なんも考えずに浴び続けても大丈夫って言われれば、違うよな? 

SNSは本能的に見たくなるものを見せて思考を停止させる?

SNSも似たようなもんだろう。根源的欲求、欲望。現代のメディアはこのへんをもう知り尽くして機械化を完了してしまった。リサーチの媒介となっているのはインターネット、スマートフォン。TikTokなんてのは、つい手を止めて再生した動画に近しいものを以降、バンバン供給してくる。Spotifyもそうかもね。フェイバリットに加えると、近しい曲を提案してくる。

AIやアルゴリズムが、自分以上に自分の好みを把握している、そんな時代みたいに言われている。好みとは関係ない、人々の関心を引く絶対値としての「バズり」なんていう指標もある。X(旧Twitter)なんてのもそうだよね。バズってる投稿、おもしろいもんな。

漫画やアニメ、SNSが時間以上にあなたから奪っているもの スマートフォンをベッドで触る人
自分が「刺激的」だと思うコンテンツを勝手にスマホが見つけてくる

そうなると俺たちはもう、SNS上で指を動かすだけで「刺激的」なコンテンツを浴び続けることができる。探さなくていい。探すことをしなくなる。

おもしろいと思うことを、AIが決めつけて押し付けてくる。おもしろいことがないか、おもしろいことがなんなのか、自分が好きなことはなんなのか、探すことをしなくなる。そうなると、自分でなにかアクションをしようとか、思わなくなるんじゃないだろうか。

腑抜けになる。意気地なしで、積極的に行動する気力もなくなる。これはやばい。

いっぽうで、SNSを運営している企業は俺たちがそこにとどまってくれてるおかげでサービスを維持してお金儲けができる。タダより安いものはない、俺たちは、手元のスマートフォンを通して、企業に時間を売り渡しているだけだった。

SNSは「見る専」をやめてうまく付き合えば強力なアウトプット装置になる

ただ、それも考えようだ。SNSに参加しているということは、俺たちも発信ができるということだ。今は、投稿が表示された回数によりユーザーに収益を与えるような仕組みもできていて、投稿をバズらせた人間が報酬を得られるようなシステムになっていたりする。システムを利用してうまいことバズらせれば、俺たちはプラットフォームからお金をもらえる。すると、時間を売り渡しているだけでなく、収益を得ることができる場所になる。

収益が目的だと動機がやや不純だが、要は受けるだけでなく、発信する側に回るアクションが、無気力や思考停止の状況を回避する手段になるということである。SNSで投稿をただ見ているだけの人間と、誰かに何かを伝えるために投稿文を考えて発信している人には、雲泥の差があると思う。その、収益化うんぬんは置いておいて、自分の意志を言葉や動画にして確認する手段として、SNSを活用する方向に転換できればいい。

つまり、漫画やアニメ、SNSに対しては、「見せられる」じゃなくて「見にいく」に向き合い方を転換して、自分がアウトプットするきっかけに持っていけるように意識していくこともできるってことだ。アウトプットなんて、SNSがあれば簡単にできるだろう。そういうふうにデザインされているのを忘れてはいないだろうか。がんがん、アウトプットしていけばいい。ただの感想でもいい。一日一回つぶやいてみるとかね。人の感想を見るだけってのは、もう終わりにしとこう。何事も「見る専」ってのはあぶないよ。ROM(Read Only Member)専ともいうよな。古いかな。

漫画、アニメ、SNSから距離をとって自分の時間を取り戻す

完全に毒だと言い切れないもんが、世の中はほとんどだと思うけど、今はそうも言ってられない気がする。どうせ離れられないだろうから、そんくらい人間を引き寄せる魅力にあふれたもんだからこそ、敬意を示す勢いで、漫画、アニメ、SNSは「毒」をもっていると考えてみよう。

見る専(ROM専)からの脱却ができないのなら、漫画、アニメ、SNSとの付き合い方として、距離を置くといい。対症療法的だけど、たまにやるとけっこう精神衛生上ラクになるからおすすめである。

俺は家の中では、スマートフォンをなるべく手元に置かないようにした。物理的に距離があると、さすがに触る回数が減った。すると、バカみたいな話だけどストレートネックによる首の痛みが治った。あと、紙の活字の本をパラパラと読むようになった。

……そもそも漫画は駄目なのに活字の本ならいいって、なんかおかしくないですか? うん、さっきは漫画やアニメとちがって文字しかないから想像の余地があり……みたいなことを書いたけど、実は大して変わらんかもしれん。このへんの話は、今度、ちゃんと考えてみよう。俺の場合はなにより、活字の本を読んでると呼吸が深くなって整うんだよね。吸い取られてる感じじゃなくて、回復する感じ。

あとはネットフリックスとかの動画配信サービス系のサブスクね。これはぜんぶ解約した。そしたら見事になんにも見なくなった。スカッとした……。会社の同僚の話についていけなくても、なんとも思わない。別に、それでうまくいってた関係なんて俺の場合は一個もなかったしね……。

SNSは……とりあえずTikTokはアンインストールした! でもインスタとかでほぼ同じ縦動画でてくるし、そこまでデトックスできてはいないかな……。とにかく、スマートフォンから距離を置いているから前ほどのめりこむようなこともなくなった。

すると、時間が余った。余った時間でこういうブログを書いているんだけど、不毛だと思うかな……? 自分の考えをどんなかたちにせよ書き出すのは精神衛生上いいと思う。読んでくださるような方は多くはないけど、もし誰かがこのブログを読んで、少しでも共感してくれたりタメになると思ってくれたらありがたいし、ブログ内の広告を踏んでくれたらちゃりんと収益も入るし……不毛じゃない気をするぜ?

つって、またこうしてネット上にゴミが増えてしまうわけなんだけど。このゴミ記事みたいなのに時間を奪われるってのも、だいぶ癪だよね。俺も、人の時間を奪って金儲けしている輩と変わらんな、むしろ漫画とかアニメみたいに品質の高いものでもないし、よほどタチが悪いかもな。

じゃあ、自分以外の人の時間を奪わない、自分の時間の使い方ってなんだろう。運動か? 歌でも歌うか? うん、こういう発想になれてきたってことは、前に進めた気がするぜ。だってさぁ、このブログの書き始めでは漫画とアニメとSNSに時間を吸い取られて一日が終わる人間だったんだぜ?

だからちゃちゃっと、スマートフォンから距離を置いて、サブスクの動画配信サービスを解約するこった。だってもう、嫌というほど漫画とアニメとSNSは見たろう。一年くらい見なくても平気だって。

この記事を書いた人

1990年生まれ。サラリーマンの男。神奈川県在住。
思春期のころ、肌や毛のトラブル(?)に悩まされ、振り返ればコンプレックスを抱えた青春を送ってきた。そのせいか自意識過剰になり、さまざまなスキンケアや毛のケアを試してきた。似たような悩みを持つ人たちの助けになれればと思っています。好きなものはメラノCCとユニクロと無印良品。

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