第1回日本翻訳大賞「読者賞」獲得作品
しっかりと書いておかないといけないのは『STONER』をすばらしい日本語の翻訳文で読めているという状況。当たり前のことじゃないんですね。日本の翻訳出版は、世界的に見ても充実してるらしい。岩波文庫とかでめっちゃ海外の古典の翻訳されてるし、そもそも出版社多いもんね。白水社とかはフランス系が強かったり。
海外の著作が日本語で読めるということは、少し考えるとなかなか恵まれたことなんですね。その国の言葉の勉強をせずに読めるってチートだよね。
そこで求められるのが翻訳の質。だから翻訳者も評価されてしかるべき。そこで、日本翻訳大賞なるものが、生まれたんじゃないかしら。
『STONER』は、記念すべき第1回日本翻訳文化賞で「読書賞」を獲得。審査員からも、「訳者の念が伝わるタイプの訳文(…)訳者自身が読む喜びを感じながら訳していることが伝わってきた。また訳す喜びも行間から感じられた」(西崎憲)といった評を寄せられていた。
西崎さんは評の中で「訳語の選択に意が用いられていることが伝わってきた。細部へのそうした配慮と、全体の淡々とした雰囲気の醸成のバランスは訳者の工夫であろう。」って書いてるんだけど、俺も同じように感じた。こういう評価を聞きたかった!
原書は読んでないのでわからないけど、おそらく言葉のチョイスと塩梅が絶妙だったんじゃないかな。東江一紀さんの訳文を読んでいると、日常生活では使わないけど、文字面から雰囲気が伝わるかゆいところに手が届く熟語や慣用句がよく出てくる。
「恬然(てんぜん)」とか「狷介(けんかい)」とか「安普請(やすぶしん)」とかいう言葉が出てきて、辞書で調べて、へーこんな日本語あるんだってなるわけよ。それが気どった表現じゃなくて、必要だからこそ用いられている感じ。適切な言葉を探してピタッとはめてくる。言葉の意味を知るたびに感心させられるし勉強になる。
言葉選びは小説家に求められる技術なんだろうけど、たぶん簡単じゃないよね。日本の作家の小説を読んでいても、ここでそんな硬い表現いるか?とか思わされることもある。文筆業のプロの方々は、そこでひとつセンスを問われている気がする。東江さんの翻訳は、個人的にはとてもツボでした。品がいい……いや違うか、西崎さんの言うとおり翻訳にあたっての「配慮」と「喜び」が伝わってくる。それって、読者にとっても気持ちよく感じられることなんじゃないかな。
東江さんは、米の娯楽小説やノンフィクションを主とした翻訳家で、総計200冊以上の訳書を残し、2014年6月21日逝去されたそうです。『STONER』は、東江さんが手がけた最後の作品とのことです。
訳者あとがきで語られた翻訳の裏側
訳者あとがきを書いたのは翻訳家の布施由紀子さん。「訳者あとがきに代えて」として綴られる。東江さんから翻訳家の手ほどきや薫陶を受けたというのが適当なのかしら、師弟というと徒弟制度みたいでちょっと抵抗ある感じが文面からは伝わりますが、「恩師」と書かれており、とても近しく信頼し合っていた関係にあったことがうかがえます。
東江さんは訳了の手前残り1ページで残念ながら逝去されたそうで、布施さんが引き継いで仕上げられたことがうかがえます。そのため、東江さんによる訳者あとがきは書かれていないようです。
布施さんの言葉が印象的でした。ありきたりなことを言っているのかもしれないけれど、この小説を読んで、あとがきを読んだあとには感じ方が違ってくると思います。
人がひとり生きるのは、それ自体がすごいことなのだ
『STONER』(作品社)「訳者あとがきに代えて」より
俺もこの本を読んでそう思いました。 この本を書いてくれて、翻訳してくれて、ありがとうございました。