『資本論』を読んだことのある人って、どれくらいいるんだろう。カール・マルクス著、フリードリヒ・エンゲルス 編の『資本論』ね。実は俺、読んだことがあるんだよ。学生時代、よほど暇な時期があったんだろう、読んだことがあるんだよ。俺の記憶のなかの『資本論』は、資本主義のシステムを数式とか使って細かすぎるほどに説明して、剰余労働について伝えて、資本家と労働者の関係、搾取の構図、それを批判するというか理不尽な構図を淡々と説明することで「資本主義ないわ」と嫌でも思わせられる本。
で、マルクス主義。社会主義ってこういうことなのね、っていうのを教えてくれたのもマルクス。資本主義に対抗するってこういうことなのね、階級闘争、資本の共有、って感じ。いや、ざっくりとしたイメージね。詳しく説明すると俺、間違ったこと言っちゃうから。
個人的にはマルクスの考え方は嫌いじゃない。理解できないことを言っているとは思わないのである。そこで、マルキストである斎藤幸平の『人新世の「資本論」』。この新書、やたらと売れたらしい。遅ればせながら読んでみました。
『人新世の「資本論」』は環境問題を扱う本だった
なんで「資本論」なんてワードが入った本がこんなに売れているのか疑問だったけど、少し読んでみてわかった。『人新世の「資本論」』は、地球上に暮らす人々の多くが関心を持つであろう“環境問題”に取り組んだ本だったのだ。
正直、グローバル経済的な観点からの資本主義批判とか新自由主義批判の本なのかなーくらいに思っていたけど、想像していたよりソフトな入り方で、想像していたよりラディカルな提案をする内容だった。いや、もちろんグローバルな経済の問題が環境への負荷を与えるっていう話がひとつの主題なんだけど、政治家や資本家に任せきりにしない、市民が自らアクションすることを提案する、実践的な内容だと思ったってこと。
あと「はじめに」の章名が「SDGsは「大衆のアヘン」である!」で、なんかもう多くの人が怪しいなー、へんな意図を感じるなーって思うトピックに噛みついてて、溜飲を下げるっていうか、俺も絶対おかしいと思ってたんだよ!っていう気持ちに共感して、代弁して論破してくれてる感じ。斜に構えがちな読者の心を掴みに行ってるんだよな。
ちなみに、「SDGs」って何か説明できるかしら? こちらのサイトを参照しておさらいしてみよう。
SDGsは“Sustainable Development Goals”で、「持続可能な開発目標」ってこと。17の目標がサイトでは掲げられている。
斎藤幸平はこのSDGsを、人々がSDGsの方針に則って、ふだんの生活からエコバッグの使用やハイブリッドカーへの買い替えなどにより、環境問題に取り組んでいるという意識を「免罪符」のように持たせることで「真に必要とされているもっと大胆なアクション」を起こすモチベーションを下げるものと説く。そして、かつてマルクスが、資本主義が引き起こす苦悩から目を逸らさせる「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判したのに倣い、SDGsを現代版の「大衆のアヘン」と切って捨てた。(※このへんは出版社のサイトの試し読みページから読める範囲の内容です)
じゃあ俺たちゃどうすりゃいいんだよ? 国連が言っているSDGsに従っててもダメなら、もう終わりじゃん。っていう、スタンスから読み始める感じ。まぁこれは、おもしろい読書体験になりそうですね。俺にとっては、まさかの環境問題本で想定外だったんだけど、最近この手の本を読んでないので、最近のトレンドも振り返ることができて勉強になった。
現代の環境問題に関連する本って、有象無象の印象があって、言ってることはどれもおんなじじゃないの?みたいな気持ちになるので積極的に買うことはなかったんだけど、『人新世の「資本論」』を読み終わって、たまに読んだほうがいいなー、ってかこのへんの情報は定期的に一年に一回くらいはアップデートしないとついていけてないところがあるなーと思わされるところがあった。
なぜ『人新世の「資本論」』は売れたのか
さて、気になるのはどうして『人新世の「資本論」』はここまで売れたのかということ。最近の帯を見ると「50万部突破!」って書いてある。50万部売れる書籍って、かなりすごいぞ。新書だから、売れ方のノリはビジネス書のヒット本に近いのかな……。
俺が勝手に考えた売れた理由なんだけど、まだあまり多くの人に浸透していないキャッチ―な概念を紹介したことが大きいと思うんだよね。そう、タイトルにある「人新世」。読み方すらわからんかったわ。「ひとしんせい」もしくは「じんしんせい」って読むんだって。ちなみにこの本は色んなサイトや書店を調べたところ、読みは「ひとしんせいのしほんろん」なのだとか。
提唱されたのは2000年ごろらしいんだけど、正直2020年代に入るまで俺は「人新世」なんて言葉、使ったことなかったぞ。「人新世」のくわしい意味については、例によってWikipediaをご覧ください。
かんたんに理解してしまうと、人類の活動によって起きた自然環境の変化が、自然のシステムや本来のあり方までも変えてしまうほど大きく影響を残した時代、ってのが「人新世」ってこと、みたいだ。地質学的な時代の見方ってやつなのかな。
「人新世」といういまの世界・地球を捉えるうえでぴったりの言葉を使って、予てからの環境問題の最新のトレンドを踏まえ、関連する身近な取り組みであるSDGsをぶった切り、“諸悪の根源”である資本主義を打倒せよと語り、そこにマルクスという巨人の晩年の思想をフィットさせ、「脱成長」という普通に生活していてはたどり着かないであろう方法で危機を回避しようと提案。そして、著者は30代の若い研究者である。
要素をならべてみると、勢いを感じる出版物であるとわかる。問題の間口の広さと、切り口のユニークさ(ユニーク過ぎないのがポイント)、そして内容をアカデミックな領域まで届かせて知的好奇心をくすぐってくるのがうまい。こういう本が、リテラシーを問わずに読者の知識と意識をアップデートさせるんだろうね。一般読者向けに編集された本でありつつ、この領域にくわしい研究者でも、いま新書として大きく打ち出されるひとつの考えのトレンドを知るという意味で興味深く読むんじゃないかな。これもう知ってるわ、っていうスタンスで読むのではなく。
『人新世の「資本論」』は著者の圧がちょっと強め?
はい、『人新世の「資本論」』がどんな本なのか、少しは説明できたかと思います。ここで、読みたい!と思う人と俺は読まなくていいわ!と思った人に分かれたかな。もし俺の説明のせいで前者の方々が増えたんなら申し訳ないけど……。
読む気をなくす人がもっと増えるかもしれないけど、読んでいる途中の読後感ならぬ読中感について、語ってもいいかな?
正直……俺はそこまで引き込まれなかった。いや、売れてる本に対する天邪鬼な反応ってわけじゃなくて、そもそも環境問題の話だったのかーってことで、テーマがツボじゃなかったっていうか、いや、環境問題に興味がないわけじゃないけど、なんか読んでてへぇ!って思ったり深く考えさせるようなことは少なかったかなーっていうか。
もちろん、著者と同じ理解度で誰かに説明できるほど、気候変動の問題とかに俺が通じてるなんてことはないし、デカップリングとかいう用語とかフィアレスシティの存在とか初めて知ることも多く、個別に丁寧に説明してくれて勉強にはなったんだけど、なんて言うんでしょう、資本主義がもたらす環境問題への警鐘を鳴らしてくる感じっていうか、個人とか市民の運動に持っていこうとする感じとかもそこまで新鮮じゃなかったというか、個人的にいまはあまり求めてなかったってだけなのかもしれないけど……。
で、けっこう著者の文のテンションが高くて、断定的な書き方がされている。そりゃはっきりしない調子で書かれても困るけど「今こそ」とか「するしかない」とか「生ぬるい」とか書かれると、ちょっと俺は圧を感じちゃってこわかったんだよね、威嚇されてる気持ちになるというか。
見方を変えれば、斎藤幸平はそれくらいの危機感を持ってやってるんだ!っていうのが伝わる書きぶりで、必要な編集だと思う。フォロワーを生み出し、リーダーになるんだ!っていう気概を感じるし、現に『人新世の「資本論」』を読んで、彼についていこうと思った人は少なくないと思う。この問題に関して斎藤さんは本気だろうし、誰かを動かして自身が良いと思う方向に持っていきたいと考えているのだから、意義のある出版になったんだろう。ただ、集英社から刊行する内容の本かな??と余計なことを考えてみたり……。
『人新世の「資本論」』は環境・経済問題に関心のあるファッション好きにおすすめ?
まとめますと、『人新世の「資本論」』は環境問題をめぐる経済思想とか体制に関する本で、近年のSDGsとかグレタ・トゥーンベリとかの話を織り交ぜた新書らしいタイムリーさを持った一冊で、現代の世界情勢を知るうえで非常に有用な本であると思います。そのなかで、「コモン」「脱成長」というキーワードを用いて、具体的な解決方法まで提示している。
読んでいて痛快に感じる本だと思います。鵜呑みにしたっていいんだぜ、という感じでしっかりと説明もされています。個人的には反対の意見は持たなかったし、若くして「都市の生産者」の道を選んだ知人のことを思い出して、「ああいう生活にちょっと憧れがあるな」と自分の意志を再確認することができる本でもありました。
ちょっと気になるのが、この本『人新世の「資本論」』が刊行されたのって2020年なんだよね。2022年に起きたロシアによるウクライナ侵攻の前なんだよ。コロナウイルスによるパンデミックの影響は内容に織り込まれていたけど、ウクライナ侵攻の発生後だったら、どんな内容になっていたんだろう、と気になった。
ウクライナ侵攻は温暖化と直接関係ないだろう、と一蹴されるかもしれないが、問題と問題を結びつけて考えようとしている人もいる。
斎藤幸平が論じる戦争、みたいなのにも期待したいな。いや、もうさすがにどっかに寄稿してるか! ちゃんと探します。この本を読んで、そんくらい気になる著者になった。けっこうテレビとかにも出てるよね。
で、なんとなく思ったんだけど、ファストファッションの批判の仕方とかを見るに、ファッション好きな気がするんだよね。少し調べたら、案の定、ファッション好きでした。
ファッションとかどうあがいても環境負荷が発生しそうな分野なのに、ファッション好きな感じが滲んでるところに、個人的に好感をもった。
本記事のタイトルにも挙げたけど、『人新世の「資本論」』の内容に共感する人って、もしかしたらファッションが好きな人や業界の人だったり、セレブリティなのかなって思った。
彼らは、消費に対する意識が概して高い。エシカルファッションっていう、倫理的な消費を求めるファッションに対する考え方もあるし。毛皮をやめるとか、オーガニックコットンで土壌汚染を防ぐとか、そもそも消費しなければそんな問題は発生しないんだけど、ファッションが好きだから消費は止められない、環境や経済の問題においては後ろ指をさされるようなことに拍車をかけている存在なんだけど、逆説的にその問題の意識が高まるというか。
だから、『人新世の「資本論」』で述べられた「脱成長」が、ファッション好きには刺さったんじゃないかな。現に、斎藤幸平さん、けっこうファッション誌のインタビューに登場してるもんね。
本記事を読んで、読んだことなかったけど読んでみようと思ったという方は、ぜひチェックしてみてください~~。
ちょっと斎藤幸平さんの動向は気になる感じだなぁ。他の本も、読んでみようと思います!