「東大と京大で一番読まれた本」という触れ込みの本がある。前に紹介した『暇と退屈の倫理学』もそうかな。今回紹介する『思考の整理学』(筑摩書房)もまた、東大と京大で一番読まれた本らしい。一番読まれた本って何冊あるんだよと軽めのツッコミを心の中で入れつつ、2024年に新版が出たというので買って読んでみた。そもそも学生がこぞって読んでいるような本を社会人の俺が読んで意味があんのかなと思ったりもして、少し引いた感じで読んでみたけど、僭越ながらとても感心させられましたよ。ということで『新版 思考の整理学』の紹介、感想文を。
『思考の整理学』は新版になって何が変わった?
旧版の『思考の整理学』を読んだことはないんだけど、新版になって「読みやすい活字」になったそうな。たしかに、文庫本にしては文字が大きくハッキリしていて、読みやすい気がする。あと、ワイド版ってのもあるらしくて(旧版にもあったらしいけど)、判型が四六判になり大きくなって、文字がさらに大きくて読みやすいらしい。
四六判で読むのが好きだからワイド版を買おうかなーって思ったんだけど、1,000円くらい価格差があるんだよね。ケチって文庫版を買いました。でも文庫版でよかった。先に書いた通り、文庫本にしては文字が読みやすかったし、意外と書き込んだり付箋をつけたりするようなことはなかったから事足りたんだよね。決して中身がスカスカだったからってわけじゃないですよ。
本にも「本を読んでその内容を覚えようと努める必要はない」「忘れてもいいようなことは自分の価値観に見合わないものであり忘れるべきであり、その逆に覚えているべきものは意識せずとも覚えているものである」みたいなこと書いてあったから、無理に覚えようとしたり書き込んだりすることはしなかった。
でも、本を読んで知識をつけるだけでなく、自分の頭で考えるなさいね、みたいなことが書いてあったから、ちゃんとノートはつけている。それに、この紹介記事を書いて、自分なりに“解釈”しているつもりではあります。
あと、新版になって「2009年の東京大学での特別講義を新たに収録」したのだとか。これだけで18ページもあるし、著者の外山滋比古先生の熱を感じられる内容で良かった。旧版で読んだ人も、これは読んでみたいと思うはずである。
『思考の整理学』ってどんな本? 学生向け?
はい、規格の話をしながら少し内容に触れちゃったんだけど『思考の整理学』がどんな本なのか、俺なりの理解で恐縮ですが、紹介したいと思います。
『思考の整理学』は「知のバイブル」という謳い文句にあるとおり、知的活動、思考、知識ってなんなのか、どうあるべきか、みたいなことが書いてある本だと思います。ノートとかメモカードの作り方とか、実践的なことも書いてあって、そのへんは岩波新書の『知的生産の技術』に似てるかもなと思ったり。
論文の書き方とか研究のあり方とか、やっぱり大学生向けに書かれている節はある。アイディアの熟成の仕方とか。でも、どっちかというと大学院生向けかしら、学部生でここまで熱心に思考する学生って今の時代にはいないかも。みたいなこというと、なんかさみしい気もするけど。
こういう「考え方を考える」みたいな本って、ハウツウに陥りがちで――もちろんハウツウ本も役に立つ有用なものだと思っていて下に見てるわけではない――その嫌いがないわけじゃないけど、著者はハウツウにはしたくなかったって書いてた。多くの「考え方のハウツウ本」と一線を画しているからこそベストセラーになっているし、刊行から40年経ったいまになって新版が出たりしているんだろうけど、俺はその真髄に触れられたであろうか……。
閑話休題。『思考の整理学』が学生や研究者のためだけの本かと言われたら、そうとは思えないってのが俺の考え。特に、後半になると読者を選ばない感じ、現実的な世界にアプローチする感じになって、ぐっとおもしろくなってきた。
なかでも、忘れることと話すことの大切さは、日常生活で誰しも求められることだと思った。一方で、「話すことで満足してしまい、それによって考え続けることをやめてしまう」って話は目からウロコだった! 有言実行とかそういう話じゃないんだね。口に出して誰かに話すこと自体が表現活動だから、たとえばまだ実践していないアイデアや構想について誰かに説明してしまうと、実践する前にアイデアを口から水アウトプットしたことに満足してしまって、それからが遠ざかってしまう、みたいな。
そんなこと考えたことなかったわ。『思考の整理学』のなかで語られることって、一見すると一般論ぽいけど、実は一筋縄でいく内容じゃないんだよね。そこにおもしろさがある本だと思う。もう一歩、物事を深く捉えようとする姿勢っていうか、粘りっていうか。
もちろん、書かれていることは著者の考えであり、それが絶対ではないけれど、そういう風に考えたことはなかった!っていう考え方を連発してくる。『思考の整理学』は40年前に刊行された本らしいけど、いま俺が読んでも発見の連続だった(すごい)。
社会人こそ『思考の整理学』を読むべき(だと思う)
タイトルのテーマについて、あらためて。『思考の整理学』は社会人にとって有用な本なのか。うん、読んでみた感想だけど、有用だと思います。
著者が後半の章で書いていた話に、「第一次的現実」と「第二次的現実」って話がありまして。第一次的現実ってのは、まさしくいま目の前にある現実のこと。第二次的現実ってのは、頭の中の現実、本を読んで頭のなかで作り上げる世界、みたいなこと(だと解釈した)。学生のあいだは、本を読んだりすることで、第二次的現実のなかに没頭することができるんだけど、サラリーマンになると仕事において、第一次的現実のなかで思考を求められるようになる、みたいなことを書いてるんだよね。それはアイデアを使って経済活動や課題解決を実践する、みたいなことなのかな、って俺は思ったんだけど。
そのなかで、第一次的現実においてこそ思考をするべきなんだけど、第一次的現実のなかでは、第二次的現実のように体系化された思考を持ちにくく、散発的なアイディアにとどまりがちになるんだとか。そこで、第一次的現実における第二次的現実的な体系化された思考とその持久力をどう保つか、みたいな話だと俺は思ったんだよね。
では、第一次的現実のなかで編み出された体系的思考の例って何だ?って話になり、それが「ことわざ」だって言うのよ。
俺は、おぉ!と納得させられた。「ことわざ」は、たしかに実生活(第一次的現実)のなかで得た経験を定理化して伝承されているもんだと思う。頭の中の世界(第二次的現実)だけでは結びつけられない法則なんじゃないだろうか。
たとえば「猿も木から落ちる」なんてのは、実際に木登りが得意な猿が木から落っこちるところを見たときに、ハッとする、違和感を感じるところから生まれた「ことわざ」だろう。頭の中で描けるイメージは無限かもしれないけど、現実世界で起きているイメージほど具体的なもんはないからな。
ただ、ここも一筋縄でいかないのが、ことわざを知識として詰め込んで覚えるのではなく、自分でも、第一次的現実での思考や気づきのなかで、ことわざのような定理を見出せるようになろう、みたいなことが書いてあった。
では、第一次的現実のなかで思考をするにはどういう方法があるのか。そのひとつが「30分以上の散歩」とのこと。これも経験のある人ならわかるけど、いつどのようにして思考が深まり、閃きが訪れるのか。散歩はマジで効果があるって俺もわかってたけど、まさか30分以上という長時間の散歩を提案されるとは思ってなかった。こういう感じも好きだ。ちょっとおどかしにきてるみたいな。
なるほどー、ビジネス書みたいなノリかなーと思わせつつ、全然レベルが違う。簡単に結論を出さない、ちょっと突き放して、問題を複雑なまま捉えさせようとする感じ、いいよなー。俺が『思考の整理学』に読み応えを感じたのはそこだった。
かいつまんで書いたつもりだけど、けっこう内容バラしちゃったかな? あんまりネタバレしちゃダメなので、くわしくは『思考の整理学』を実際に読んでいただきたい。
「もっと若い時に読んでいれば…」などと後悔する必要はない!
ちなみに、帯に「もっと若い時に読んでいれば……」って書いてあったんだけど。
たしかにそうかもしれないね。アイデアを寝かせるくだりとか、朝のほうが効率いいみたいな、もはや一般論になっているようなこともあるけど、俺がそのへんを実感したのって、20代後半くらいだったからね……。学生のころからそういうもんだと理解していれば、少し近道できたのかもしれない。
でも、著者が言っているように第一次的現実のなかで自分で定理化することが大事だったりするらしいから、自力で気づけた時点が最短距離だと思っている。『思考の整理学』は、それなりに頑張って生きてきた人の来し方を肯定してくれる本だと思う。そんで、いい年こいた社会人がこの本を手に取ったとき、著者の書いていることに共感する部分は少なくないと思う。悩んで生きてきた人ほど、共感する部分は多いはず。
そんな人生の先輩との会話は何歳になっても楽しめる。歩んできた道に寄り添って「こんなふうに考えることもできるよ」って言ってくれる本であることも『思考の整理学』の魅力だと思う。エモいんだよね。
おすすめの本です。もしこの記事で少しでも『思考の整理学』への興味が湧くことがあったのなら、とてもうれしいです。