小川哲(おがわさとし)による直木賞受賞作品『地図と拳』。大作! 長い! ちょっと難解!という声が聞こえる本作だが、俺は電子書籍で読んでいたので物理的な厚みや重さを感じ切れていない気もしている(紙で読むべきだったか)。歴史・政治・建築・哲学……著者の知見と入念な仕込みによる膨大な情報量を消化不良にさせない丁寧さとうまさで取り込みながら、スケールのでかい浪漫を堪能できる本作。俺は、物語が折り返す少し前ぐらいの進度でやっと「これおもしろい!」と思うことができた。つまり賢くない俺みたいな人間でも、少し粘れば楽しめる小説。そんでこれを読んだ後は関連する内容の本をもっと読みたくなる感じ。さすが直木賞。
では、俺がおもしろいと感じたところを書いていきたい。ネタバレOKでもう少し背中を押してもらえば読む、みたいな人にご覧いただきたいです。まぁそこまでネタバレはしてないと思うけど……。
『地図と拳』ってどんな話?
『地図と拳』は2022年6月に集英社より刊行された、小川哲による作品。
物語のあらすじは、集英社のサイトから抜粋すると
日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀、満洲の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮。日本SF界の新星が放つ、歴史×空想小説。
集英社ホームページより
とのこと。「SF」とか「空想」とか書かれると、ダイナミックな展開を期待してしまう。でも、俺が思うにそこまで派手な小説だとは思わない。上述の説明でいうと「知略」の要素が強いだろうか。ほかにキーワードを足すなら「歴史」「教養」って感じかな。単行本にはあとがきとか解説がないから、文庫化されたときに誰がどんなことを書いてくれるかちょっと楽しみ。
ページ数は640ページと、分冊してもいいくらいのボリューム。目次を見ると序章が1899年、夏。終章が1955年、春。56年間の動きを追うかたちだ。
満州をめぐって起きる出来事を描くわけで、中国語の単語がルビつきで頻出する。これが本作をやや読みにくく難解な印象にさせているが、日本以外の異国の雰囲気を醸すうえでは定石とも言える。
高木、王(わん)、細川という人物らの船上での会話の場面から始まる。言動から異彩を放つのが細川という男。読み終えたあとでわかることかもしれないが、『地図と拳』のキーパーソンである。そして、読み進めるごとに好きになってしまうキャラクター。個人的には細川ほどの魅力がある人物は出てこない気がする。でも、嫌いな人も多そう。まぁ、気になる感じなんですよ。
物語の中心とも言える場所「李家鎮(リージヤジエン )」の話題も冒頭から出てくる。「李家鎮」で検索すると、中国の浙江省建徳にある同名の町が実在しているようだが、実際は物語のために用意された架空の町とのこと(参照記事)。
『地図と拳』は難解?
むずかしい話かと言われればそうだし、簡単ではないとは思う。でも、読めますよ。俺でも読めた。そんで読んだらけっこう賢くなれた気がした。ゆたかな読書体験は保証されている。読破できれば。
情報量が多そうで挫折しそうという人は先の章で挙げた「細川」と「李家鎮」に注目しながら読むといいかもしれない。とはいえ、小説はいろんな人物の視点が交錯するもので、読み方も人それぞれ。基本的には、先入観なしで読むのがいい気がするけど、ほんの少しだけ補助線を引いておくのもあり。
序章につづく第一章の「一九〇一年、冬」で、もう少し物語の輪郭が見えてくる。1900年に起こった義和団事件だ。これも歴史の知識があれば知ってるかもだけど、ここでおさらいしたいと思う。コトバンクの情報をお借りしながら書くと……。
「義和団」とは、山東省の農民の間に起こった秘密結社で白蓮教の一派。拳術・棒術などの武術に習熟し、義和拳教とも呼ばれた。拳匪、団匪という呼称もあり、『地図と拳』のなかでも出てくる言葉だ。
「義和団事件」は、彼らが日清戦争後に、生活に苦しむ農民を集めて起こした排外運動。各地で外国人やキリスト教会を襲い、1900年に北京の列国大公使館区域を包囲攻撃したため、日本を含む8か国の連合軍が出動してこれを鎮圧。講和を定めた北京議定書によって中国の植民地化がさらに強まった。北清事変ともいわれる。
このへんのことを知らないとだいぶ読みにくいんじゃないだろうか。恥ずかしながら俺も、記憶があやしかったのでもう一度ちゃんと振り返ってから本を読み直したんだけど。
その第一章で、拳の民とか千里眼(チョンリーイエン)とか、銃で撃たれても死なないとか、人間離れした身体能力を有した義和団が出てきて、やや格闘漫画みたいなノリが出てくる。第二章でも「宇宙卵速射」とかいう何いってんだって感じだけど大マジな修行のようすが描かれる。そして孫悟空(ソンウーコン)に……。
正直俺は、第四章くらいまではそこまでこの小説に引き込まれていなかった。読みながら書いていた読書メモにもそう書いてあった。電子書籍で読んでいたからか、重さと厚みを感じないいっぽうで、果てしなさも感じてたんだよね。ぶっちゃけ、けっこう時間をかけてちまちま読んでた。でも、そういう読み方が個人的にはフィットしてたかなー。
俺も物語の予備知識なしで読んで、意外の感に打たれながら楽しんだ作品だったのと、俺の文章力の限界が近づいてきたので、これくらいにさせてください。ネタバレにもなってないよね? まぁ高校で習う20世紀前半の日本史くらいの予備知識があれば、ストレス少なめで読めるんじゃないかなー。勉強したことをひさしぶりに復習するみたいな感覚になれたのもよかったです。
次のページでは、著者の小川哲について、そして『地図と拳』の評価について、書いていこうと思います。もしよかったら、どうぞご覧ください。