ブログのテーマがブレてるかもしれないけど、読書から得られる知見も人生の糧になる、後悔を減らすための手段ってことで許してほしい。國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の書評、まぁほんとに拙い、教養のない人間の読書感想文です。先に書くと、この本は哲学入門に最適な本、予備知識なしで哲学を卑近な話題で実践できる、とても楽しい本だと思いました。
では、どこをどう読んでそう感じたのか? この記事では序章をつまんだり、読後感を語るにとどまる些末なものだけど、少しでも参考にしてもらえるとうれしいです。
東大と京大で一番売れた本(ある時期に)
文庫版『暇と退屈の倫理学』の帯に書かれていたのは「東大&京大で第1位」というコピー。そうなんだ、売れたんだ。
賢い学生たちが手に取るくらいだから、よほどためになる本なんだろう。そして、その上にはお笑いコンビ、オードリーの若林正恭氏の
國分先生、まさか哲学書で涙するとは思いませんでした……
というコメント。そうなの? 泣ける哲学書ってどんなだろう?と思いつつ、本をレジに持って会計を済ませた。
そもそも『暇と退屈の倫理学』は、哲学書というジャンルなのだろうか? 期待と疑問を抱えつつ、本を開いてみた。
まえがきは、学生時代の國分氏のエッセイで始まる。ここでの一人称は「俺」。「この人、自分のことを『俺』って書くんだ~」と。ここで興味と好感を持った。
本章に入ると「俺」ではなくなるんだけど、このまえがきでかなり國分氏との距離が縮まる。ちょっとユニークな導入方法だね。
さて、読み進めていこう。
最初からのめり込める! 序章「好きなこととは何か」
序章ではラッセル『幸福論』の一説を眺めるところから始まる。
いまの西欧諸国の若者たちは自分の才能を発揮する機会が得られないために不幸に陥りがちである。それに対し、東洋諸国ではそういうことはない。また共産主義革命が進行中のロシアでじゃ、若者は世界中のどこよりも幸せであろう。なぜならそこには創造するべきし新世界があるから……。
國分氏は、ラッセルの述べた内容をわかりやすく解説していく。当時の時代背景を踏まえつつ、現在に置き換えたりしつつ、といった手法で哲学者の言うことをわかりやすく説明してくれる。
そしてそのあと、
しかし、何かおかしくないだろうか? 本当にそれでいいのだろうか?
歴史の偉人と呼べる哲学者の考え方に疑問を呈する。この論法は『暇と退屈の倫理学』のなかで頻出する。読者はここにスリリングな展開を見て、ページをめくりたくなる。「分からないでもない」と前置きしているので、反論というほど真っ向から異なる意見をぶつけるわけでもないのだが、疑問を呈している。
哲学書に書かれていることをかみ砕いて、頭に入れて「なるほど」と納得するだけの本ではなく、著者の考えをしっかりと(傍点をいっぱいつけて)対戦させている。これが東大&京大で一番売れた本、あまたある要約本とは一線を画す哲学書、という部分だろうか。
國分氏は「では、続いてこんな風に考えてみよう」と、読者に思考を促す。序章では、豊かさと余裕の関係、好きなこと、趣味、なんかについて考えているんだけど、卑近な、身近な話題に引き寄せて考えさせてくれるから、楽しい。読んでいて楽しい本である。
そして決して、反知性主義に擦り寄ることをしない。擦り寄っていないんだけど、反知性主義の方たちは、こういう本を読むと楽しめるはずである。そして、知性について目覚めるきっかけになるんではなかろうか。と、偉そうに知性のかけらもない俺が書いてるんだけど、なんのポリシーも持たない俺が楽しめるくらいなんだから、そうなんだと思う。
で、ガルブレイスの『ゆたかな社会』。これも名著って言われているな。國分氏は「こんなことを述べている」といった調子で、そのままの引用ではなく、くだけた解釈を入れて、自然に同書の要点を教えてくれる。これはテクニックだな。
現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができなくなってしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられてはじめて自分の欲望がはっきりするのだ。自分が欲しいものがなんであるのかを広告屋に教えてもらうというこのような事態は、一九世紀のはじめなら思いもよらぬことであったに違いない
おぉ、と思わせられる。自分を顧みるよね。こういうドキッとするフレーズを連発する本でもある。読みたくなるよね、『ゆたかな社会』。
『暇と退屈の倫理学』が開く哲学のとびら
こんな調子で、名著をがんがん紹介していく。『啓蒙の弁証法』も序章に出てくる。フランクフルト学派の代表的名著、らしいんだけど……ふつうに生きてたらまず読まないよな。
でも『暇と退屈の倫理学』は、これまでの人生で手に取ることのなかった本に出合う機会をくれる。いわば、哲学書に出合う、哲学に出合うきっかけをくれる本である。
ちなみに『啓蒙の弁証法を読む』なんて本もある。『啓蒙の弁証法』を読んだことのある人とか、こういうの読むのめっちゃ楽しいんだろうな。疑似的な読書仲間みたいなもんだもんな。読書の楽しみだよな、こういう副読本。
そして、通底するテーマとして“暇と退屈”を貫かせている。このテーマが、現代社会の発達した文明のなかで生きる俺たちのほぼすべてに該当するものだから、広く読まれたのだろう。別に古くなる内容ではないから、これからも読まれ続けるだろう。
映画『ファイトクラブ』も、このテーマをあらわす好教材だからか紹介される。俺は観たことがあったけど、もう1回観たくなった。『暇と退屈の倫理学』を読んだら、めっちゃ観たくなった。そういう本なのである。
哲学書だけじゃないな。ユクスキュル『生物から見た世界』の環世界論も、本書のなかで活用される。何それ、本の名前も著者名もかっこいいし、扱ってるテーマおもしろすぎでしょ!ってなる。俺はすぐAmazonで買った。
で、きわめつけかな。ハイデッガー。國分氏は、ハイデッガーと対談しているのだろうか? ハイデッガーと國分氏のボクシングを見せられているのか?ってくらい、本書の後半では出てくる。退屈の第1形式、第2形式……みたいな話なんだけど、ハイデッガーってこんなこと考えてたんだ! くだらないけどおもしろい!と思わせてくれる。ハイデッガーを超身近に感じさせてくれる。
よし、『存在と時間』を読んでみるか……。
……4冊もあんのかよ。読むのにどんだけ時間かかるんだよ! みたいな本が欲しくなるし、どういう内容かなんとなーく、“ハイデッガーといえば”みたいな知識を頭に入れられる、『暇と退屈の倫理学』はそういう本、かもしれない。いや、でもこの本を読まないと一生ハイデッガーが考えてることなんて知る由もなかったわ。
ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』のくだりも好きかも。社会学的でもあるので、一般の人でも親しみやすいテーマを提供してくれる。ボードリヤールは、Wikipediaのプロフィールだと思想家なのね。消費と浪費の区別の話、めっちゃずんとくるよ。特に俺みたいにファッションが~みたいなことをブログで書いているやつには……。
おまけ:『暇と退屈の倫理学』と『現代思想入門』は似てる?
『暇と退屈の倫理学』と千葉雅也『現代思想入門』似てね?って俺は思ってしまった。書きぶりとか、身近な話題に引き付けて展開する感じとか。読む人が読んだら、全然違うものなんだろうけど、俺みたいな頭のよくない人間には、そう思えてしまった。
で、『現代思想入門』よりも、『暇と退屈の倫理学』のほうが俺は好き。やっぱタイトルだよな。編集者の心意気を感じるというか、粋を感じる、まえがきとあとがきのエモさとか、構成のおもしろさだよね。
タイトルに「入門」とかつけていないところがいいよね。まぁ、ちょっとおしゃれにつくられているのよ。
いっぽうで、やっぱり俺が入門だと感じちゃうくらいだから、教養のある人は楽しめるもんなのかな?って思ってしまった。一般人向けの本なのかな? 教養のある人になったことがないから、わからない。
でもね、俺の知ってる賢い人たちは、自分が賢いと思っていない気がするし、排他的じゃないから、こういう本もちゃんと読んでるんだと思う。で、そういう人たちの楽しみ方があるんだと思う。知ってる話ばっかだな~って少し読んだり、話したりして、切り上げることはしないんだと思うよね。知識のある人が、それをおさらいして実践するのに適した本だと思うし。
知識と教養を、身近な話題で、楽しく実践して、もっと学びたいと思わせてくれる、売れてる本。すっごい雑にまとめたけど、多くの本に当てはまると思うけど、『暇と退屈の倫理学』は、俺にとってそういう本の好例でした。呼んでる最中も呼んだあとも、とってもいい時間が過ごせるし、めっちゃ勉強したくなりました。涙はしませんでしたが、おすすめの本です。